下を向くと真っ暗だけれど、前や上を見ると光が見えること、1人では見逃してしまうけども、誰かといると1人では気づかないことに気づかせてもらえること がわかりました。
気持ち悪い文章だけど、今日はそんなところ。
辞めて評価される世界に飛び出してやるという、ただそれだけ。
会議にしろプロジェクトにしろ人が増えるとその分無駄が増えるんですね。
船頭ばかり増え、手を動かすべき人がその調整に回るという自体。
各々が複数の製品を世に出して来た人だけど、これだけ合意が取れないということは、如何に開発が一般化できないということなんだろうか。
製薬会社の開発なんて、だれがやっても一緒だろうと思っていたけど、こういうところにノウハウや強みがあるんでしょうね、きっと。
お金を稼ぐには、ビジネスを企てる側の人間になる必要がある。
昔からよく言われているように、レンガを積む人間ではなく、家を作る人間にならなくてはいけない。
スタートアップに参画している友人は、すでに4つのプロジェクトを経験している。かたやメーカーの研究職である俺はまだ2個。しかも、日の目を見ずにポシャっている。
このスピード感でいいのだろうか。
ロールモデルは重要である。
弊社では、若手がどんどんやめている。
若手で集まり話題となるのが
・役職は、半数以上が他社からの転職組
・上司の御意向による場当たり的な異動
・会社のビジョンと反し、部長クラスの個人的趣味による業務の選択
である。
社内を見渡すと、若手一優秀だった先輩は残ってる。
そこの違いは明角で、ロールモデルと言える人間がいるか否かである。
彼の場合、直属の上司が本社の幹部に上り詰めた。一方、転職していく人間の上司を見ると、
・キャリアと無関係の部署への50代での異動
・転職
である。社内に残りどのようにキャリアを築くのか、どのように成長していくのか、ビジョンを描ききれなかったのであろう。
もちろんアサインされた仕事の質やその他の環境もあるだろう。しかしながら、どのような仕事でも自分の目指すべきゴールの有無でその取り組みや成長も異なるではないか。
アウシュビッツでは、午前に穴を掘り、午後に埋めるという生産性のない作業を命じられたともいう。
ロールモデルなき仕事はまさにこれに当たるのだろう。
大学の後輩と飲んだけど、
自分の将来が見えてしまったから子供に将来を託すって、そんなにダサいことはない。
いくつになっても、自分の人生を楽しんでいたい。
自分にはまだ無限の可能性があると言っていたい。
そういう生き様を見せられる親だいたい。